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2009年12月3日

仕分けと教育

今回の仕分けにより各省庁の予算が大幅に削減されています。
その中で文部科学省の予算削減に関し、東大を始めとする著名な大学や、ノーベル賞受賞の科学者などが、それぞれの立場から反対の意思表明をしています。

教育は国家を支える柱です。特に日本では教育が国民のアイデンティティを形成する根底の部分で相当の影響力を持っています。日本には国民が信心する宗教というものが存在しません。他国のようにキリスト教やイスラム教、仏教などが体に染み付き、人としての行き方の枠組みを形成している国もあれば、独裁政治によって強制的に枠組みを決定させられている国もあります。

日本はその意味では宗教や哲学によって私たち個々の生き方の枠組みが形成されていません。
山本七平氏によれば「日本教」という独特の哲学が存在しそうですし、空気の流れに従うという固有の他者依存型概念はあるものの、それも確固としているものではありません。

この日本では宗教や規範の代わりに教育によって統制されてきた面が(特に戦後において)強くあると考えます。教育は国家の基盤になっているわけです。

もちろんこれにより国家の意思が個人に大きく影響をしてきたことも事実として存在していますが、
教育は政党による政治からは離脱して論議をする必要がある人間のインフラを構築するものと思います。

その意味で国家の緊縮財政緩和の項目にあげるべき課題とは切り離して考えていくべきではないでしょうか。

また、一方で、私たちの国力を支えているのが教育です。天然資源に恵まれない国土では、(資源は利用されずに残っているものもありますが、輸出産業として国の経済を支える資源と言う意味では希少です。)教育によって培った人間力こそが国家を支える大きな資源だと思います。

その意味で教育にかけるべき費用を十分な論議なく削減する考え自体に教育の無い者たちの仕業と感じます。

仕分けや脱官僚を目指す行動そのものへの批判ではありません。この行動により、無駄が遡上に上がってきた、見える状況になってきたという長所を感じつつ、教育への思慮の浅薄さに恐ろしささえも感じます。