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2009年12月11日

ある小学校で

12月9日、東京都内の、とある小学校にて研究授業の見学と指導研修を実施してきました。
この小学校では教員全員が英語活動を前向きに捉え、何とか児童のためになる楽しく意味のある活動をしようとして毎月の研究授業を実施しています。
今回は特別支援学級での英語活動でした。10名の学年混在の児童が英語活動中にはずっと生き生きとして、参加していました。その生き生きさに、何をどうやったら活動として上手くいくのかという一見子ども中心であるようで実は指導する側中心の考えは、全く通用しないということを改めて確認できました。
児童は英語を意識せずに英語を用いた活動自体を真剣にたのしみ、その活動に入り込んで教師の一言一言をしっかりと聞いて自分たちの行動にその学んだ英語表現を利用しているのです。
単純でたわいないが、とにかく学習目的をストレートに子どもたちに向けると、子どもたちは自分たちがもっとも受け容れやすい形に変えて吸収できるのですね。
教師の技巧でいびつに形を変えてしまっては受け容れられることなく、つまらない英語で終わってしまいます。
この学校の先生たちの努力と子どもたちの澄み切った瞳に敬意を表します。ありがとうございました。

****************浅井正美のメールマガジン「小学校英語指導の達人」も同時にお楽しみください。(無料)

2009年12月3日

仕分けと教育

今回の仕分けにより各省庁の予算が大幅に削減されています。
その中で文部科学省の予算削減に関し、東大を始めとする著名な大学や、ノーベル賞受賞の科学者などが、それぞれの立場から反対の意思表明をしています。

教育は国家を支える柱です。特に日本では教育が国民のアイデンティティを形成する根底の部分で相当の影響力を持っています。日本には国民が信心する宗教というものが存在しません。他国のようにキリスト教やイスラム教、仏教などが体に染み付き、人としての行き方の枠組みを形成している国もあれば、独裁政治によって強制的に枠組みを決定させられている国もあります。

日本はその意味では宗教や哲学によって私たち個々の生き方の枠組みが形成されていません。
山本七平氏によれば「日本教」という独特の哲学が存在しそうですし、空気の流れに従うという固有の他者依存型概念はあるものの、それも確固としているものではありません。

この日本では宗教や規範の代わりに教育によって統制されてきた面が(特に戦後において)強くあると考えます。教育は国家の基盤になっているわけです。

もちろんこれにより国家の意思が個人に大きく影響をしてきたことも事実として存在していますが、
教育は政党による政治からは離脱して論議をする必要がある人間のインフラを構築するものと思います。

その意味で国家の緊縮財政緩和の項目にあげるべき課題とは切り離して考えていくべきではないでしょうか。

また、一方で、私たちの国力を支えているのが教育です。天然資源に恵まれない国土では、(資源は利用されずに残っているものもありますが、輸出産業として国の経済を支える資源と言う意味では希少です。)教育によって培った人間力こそが国家を支える大きな資源だと思います。

その意味で教育にかけるべき費用を十分な論議なく削減する考え自体に教育の無い者たちの仕業と感じます。

仕分けや脱官僚を目指す行動そのものへの批判ではありません。この行動により、無駄が遡上に上がってきた、見える状況になってきたという長所を感じつつ、教育への思慮の浅薄さに恐ろしささえも感じます。